日本三大祭りとは
日本三大祭りは、一般的に祇園祭・天神祭・神田祭
日本三大祭りは、
- 祇園祭(京都府八坂神社)
- 天神祭(大阪府大阪天満宮)
- 神田祭(東京都神田明神)
の3つのお祭りだと一般的に言われています。
その由来は、はっきりしませんが、「日本三大○○」という物事のランク付けは、「日本三景」(松島、天橋立、宮島)や「日本三名城」(姫路城、名古屋城、大坂城/ただし、熊本城が入ることも)など、古くから好まれてきました。
「日本三大祭りは、有名で大きい祭り2つと自分の地元の祭り」の法則
しかし、日本三大祭が「祇園祭・天神祭・神田祭」だと言うと、どうして?納得できない!という人は多いのではないでしょうか。
そういう人は、だいたい地元のお祭りを日本三大祭りの1つに加えていることが多いようです。
それには3つの理由が考えられます。
まず、一般的に「日本三大○○」と言われるものが、具体的な調査やわかりやすい統計によって指定されたものではないので、必ずしも誰もに納得のいくものではないため。
次に、「日本三大○○」というと、前の2つには誰もがわかる有名なものをあげますが、3つめに、地元のものを当てはめて、キャッチコピーにすることが多く、地元ではそれが浸透しているため。
最後に、特にお祭りなど、地域で大切にされてきたものには、誰もが愛着を持つので、自分の地元のお祭りを推したくなるため、です。
言うまでもないことですが、有名でもあまり有名でなくても、地元で地域の人に愛されて大切にされてきたお祭りは、それだけで価値があるものですよね。
ここでは、一般的な「日本三大祭り」と、東京・京都・大阪、博多、四国、東北といった各地の三大祭りをご紹介しますが、そこにあなたの愛する「日本三大祭り」が入っていなくても、あなたの「日本三大祭り」の価値は変わりませんし、逆に、ここに入っている「日本三大祭り」も、きっと誰かの地元で愛される「日本三大祭り」でしょう。
原初的には、収穫への感謝や祈りから始まったとされるお祭り。
郷愁を誘うお祭りの雰囲気やにぎやかな熱気は、それだけでも心おどらせてくれるものですが、その由来や見どころを知れば、もっと「日本三大祭り」を楽しめること間違いなしです。
日本三大祭り①:祇園祭(京都府八坂神社)
では、日本三大祭りについて、順番にご紹介していきます。
まずは、京都の祇園祭です。
祇園祭の歴史や由来
「祇園祭(ぎおんまつり)」は、ハイライトの山鉾巡行がよく知られていますが、本来は、京都市の八坂神社(祇園社)の祭礼で、長く「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」と呼ばれてきました。
「祇園祭」の起源には、いまから約1100年前の平安時代に行われた2つの祭礼が考えられます。
まず、1つは、863年(貞観5年)、京都で疫病が流行したため、神泉苑(もとは大内裏に隣接した庭園)で初めて行われた「御霊会(ごりょうえ)」。
御霊会とは、死者の霊を慰めて、怨霊による災いを防ぐための祭礼。
当時、疫病は、この世に恨みを残した怨霊がたたって起こすものと考えられていたのです。
しかし、貞観年間は、疫病のほかにも、富士山の大噴火や、東北の地震・津波と全国で災害が相次ぎ、多くの被害を出したため、869年(貞観11年)に、また御霊会が行われました。
そのとき、当時の国の数と同じ66本の矛を立てて悪霊の依り代としたこと、また、神輿渡御を行って牛頭天王(薬師如来)を祀ったことが、2つめで、矛が使われたことが現在の山鉾の起源と考えられます。
現在のような山鉾巡行がいつから行われるようになったかは不明ですが、鎌倉時代末期の資料に、今の山鉾巡行のもとになったと思われる行事の記述があり、室町時代、京都の町衆が力をつけるに従って、競うように、趣向を凝らした山鉾が作られるようになったそうです。
なお、「祇園祭」において、その始まりから今に至るまで中心的な神事となっているのは、山鉾巡行ではなく、”神輿渡御(みこしとぎょ)”と言って、神輿に乗った神さまが氏子町を通る神事です。
「神幸祭(じんこうさい)」(7月17日夕方)や「還幸祭り(かんこうさい)」(7月24日夜)では、山鉾巡行とは異なる勇壮で豪快な”暴れ神輿”を見ることができます。
祇園祭の見どころ
祇園祭の会期はとても長く、7月1日から31日まで、一ヶ月にわたって、京の町をにぎわせます。
最大の見どころは、やはり7月17日(前祭・さきまつり)と7月24日(後祭・あとまつり)の山鉾巡行でしょう。
四条通など京都市内中心部を、先がビルの高さほどもある鉾頭を揺らしながら、重量級の”鉾”が前進するさまは、まさに壮観です。
前掛けなど装飾品には重要文化財に指定されたものも多く、「動く美術館」とも言われています。
また、”山”には、からくり仕掛けのカマキリが動く「蟷螂山」(とうろうやま)や左甚五郎作と伝えられる滝登りの鯉を乗せた「鯉山」などがあり、山鉾ごとに意匠に工夫が凝らされています。
巡行に先立つ宵山(巡行前夜)では、”駒形提灯”に明かりがともされ、”祇園囃子”がコンチキチンと音を奏でます。
宵山は、巡行前の3日間、それぞれ宵々山、宵々々山と呼ばれて行われますが、沿道をなかなか前へ進めないほどの人が埋め尽くし、出店・屋台もたくさん出店して、祇園祭の熱気を高めます。
祇園祭
会期:7月1日~31日
会場:八坂神社、京都市内各地
問い合わせ先、URL:京都観光Navi
八坂神社
日本三大祭り②:天神祭(大阪府大阪天満宮)
次に、「天神祭」についてご紹介します。
「天神祭」は、菅原道真を祭る「天満宮(天神社)」で行われるお祭りで、日本各地で行われますが、ここでは、その中でも神社の歴史が古く、また、お祭りの規模も大きい大阪天満宮の「天神祭」を、「日本三大祭り」としてご紹介します。
天神祭の歴史や由来
天神祭は、大阪天満宮の夏祭りです。
大阪天満宮の創建は平安時代の後期とされますが、その2年後に、「鉾流神事(ほこながししんじ)」が行われ、これが天神祭りの起源とされています。
「鉾流神事」は、大阪市内を流れる大川に鉾を流し、流れ着いた場所を、神意によって選ばれた祭祀の場としたという神事。
鉾は、天満宮から陸路で川岸へ運ばれ、そこから船に乗せられて祭祀の場へと向かいますが、このように鉾を船に乗せて運んだことが、現在も行われる「船渡御」(ふなとぎょ/神さまを船に乗せて川や海を航行すること)の始まりとなっています。
また、現在「船渡御」とならんで「天神祭」の中心的な神事である「陸渡御」が始まったのは、「船渡御」に比べると新しく、江戸時代の寛永年間、地車(だんじり)が祭りに導入されてからとされます。
元禄のころには、「天神祭」の規模の大きさは広く知られるようになり、『東海道中膝栗毛』などの中でもふれられる有数のお祭りになりました。
天神祭の見どころ
「天神祭」は、6月下旬から7月25日の「陸渡御」・「船渡御」まで、約一ヶ月にわたって行われますが、最大の見どころとなるのは、やはり、7月24日の「宵宮」と7月25日の「本宮」で、両日、沿道に屋台や出店がたくさん出てにぎわいます。
「本宮」の25日には、夜19時ごろから奉納花火も上がり、大阪市内のビル群を背景に、かがり火の中、大川を行き交う「船渡御」の船々の間を縫うように花火が川面に映ります。
神事の見どころは、やはり、その「船渡御」と、それに先立つ「陸渡御」。
「陸渡御」では、神輿渡御に付き従って、神輿や山車、花傘など約3千人が「船渡御」の乗船場まで歩きますが、「催太鼓」を勇壮に叩く「願人(がんじ)」や、龍が天に昇るさまを表わすという独特の踊り「龍踊り」、あちらこちらで掛け声とともに交わされる「大阪締め(おおさかじめ)」も、祭りの魅力的なポイントです。
天神祭
会期:6月下旬吉日 - 7月25日
会場:大阪市天満宮
問い合わせ先、URL:天神祭総合情報サイト
日本三大祭り③:神田祭(東京都神田明神)
「日本三大祭り」に東京からランクインするのは「神田祭」です。
ただし、「神田祭」は「山王祭」(東京都千代田区日枝神社)と隔年の交代で開催され、どちらも徳川将軍家の庇護を受けたことから、「山王祭」を「日本三大祭り」に数えることもあります。
ここでは、「日本三大祭り」として「神田祭」をご紹介し、あとの「江戸三大祭り」で「山王祭」を取り上げます。
神田祭の歴史や由来
「神田祭」は、東京都千代田区にある神田明神のお祭りです。
その始まりについては詳しくわかっていませんが、江戸時代、徳川将軍家の庇護を受けて、大きなお祭りとなりました。
神田明神と徳川家とのゆかりは、江戸幕府ができる前にさかのぼり、初代将軍となる徳川家康が、会津討伐や関ヶ原の合戦の際、神田明神に戦勝祈願したことが始めとされます。
心願成就した家康は、神田明神への信仰を厚くし、社殿や神輿などを寄進したため、「神田祭」は、徳川家ゆかりのお祭りとして、江戸の町じゅうが参加する盛大な祭りに発展していきました。
1681年、その規模の大きさから毎年の開催が見送られ、「山王祭」と交代で1年ごとに行われるようになりました。
かつては鳳輦神輿(ほうれんみこし)と共に、山車が出ていましたが、現在は、道路事情により運航されなくなり、また、本来秋に行っていた開催時期も、天候の安定した5月へと変わりました。
神田祭の見どころ
「神田祭」の見どころは、5月中旬の土曜日に行われる「神幸祭」(しんこうさい)と言う神事。
3基の鳳輦と宮神輿が氏子町を一日かけて練り歩きます。
神輿行列は、朝、神田明神を出発し、東日本橋を経て日本橋三越本店に到着。
日本橋からは、「付け祭」の相馬野馬追騎馬武者行列や町火消行列なども加わって、行列はさらに規模を増し、夜7時に神田明神に戻ります。
また、翌日の「神輿渡御・宮入」では、合計100余基もの神輿が氏子町内を練り歩き、その後、神田明神に繰り込みます。
宮入りでは、威勢のいい掛け声が飛び交い、その勇壮なさまは、「神田祭」のまさにハイライトです。
神田祭
会期:5月15日に近い土・日曜日を中心に6日間
会場:東京都千代田区神田明神)
問い合わせ先、URL:神田祭特設サイト
本当は日本三大の一つかも?江戸三大祭り
「日本三大祭り」のひとつとして「神田祭」を先にご紹介しましたが、お祭り好きな江戸っ子。
東京では、ほかにもたくさんのお祭りが伝承されてきました。
以下で「江戸三大祭り」をご紹介しますが、その前にお断りがあります。
それは、「江戸三大祭り」のうち2つは「神田祭」、「山王祭」で異論のないところなのですが、3つめが、「三社祭(浅草神社)」か「深川八幡祭(富岡八幡宮)」かで意見がわかれるということです。
ここでは、毎年開催される「三社祭」の方を取り上げています。
江戸三大祭り①:三社祭(さんじゃまつり)
- 5月の第3金・土・日曜日
- 東京都台東区浅草神社
「三社祭」は、初夏の浅草を熱気に包む、浅草神社(通称は三社権現)の例大祭(神社の年中行事のうち最も重要なもの)で、その始まりは、鎌倉時代の1312年にさかのぼります。
もとは浅草神社は浅草寺と一体だったため、明治以前は、浅草寺のお祭りとして行われていました。
祭りの始まりを告げるのは、初日、お囃子屋台や芸妓たちが練り歩く「大行列」や拝殿で奉納される「神事びんざさら舞」ですが、見どころは、何といっても2日目と最終日の神輿渡御。
浅草の氏子町内に100余基もある神輿が、2日目、浅草神社に集まり、おはらいを受けた後、担ぎ手たちによって町内を威勢よく担がれていきます。
また、最終日には、3基の宮神輿が、早朝、神社から担ぎ出され、日没まで一日かけて氏子町をまわります。
宮神輿が浅草神社から出る「宮出し」では、サセ、サセ、と掛け声が飛んで、担ぎ手も見物客も大興奮、「三社祭」のハイライトを迎えます。
江戸三大祭り②:山王祭
- 6月15日(隔年)
- 東京都千代田区日枝神社
「山王祭」は、東京都千代田区の日枝神社の祭礼で、こちらも「神幸祭」(しんこうさい)と呼ばれるお祭りが「神田祭」と隔年で行われます。
日枝神社は徳川将軍家の「産土神社」(うぶすなじんじゃ/その人の出生地の守護神)とされたことから、「神田祭」と同じく、江戸幕府の庇護を受けました。
お祭りの始まりは、江戸時代初期の寛永年間とされます。
「神田祭」と同じく、かつては山車もありましたが、明治以降、規模を小さくし、現在では、3基の鳳輦神輿(ほうれんみこし)が都心を巡行するお祭りとなっています。
神輿行列には、華麗な平安装束に身を包んだ人々が付き従い、東京都心に雅楽の音色が響きますが、まるでそこだけ昔にタイムスリップしたような不思議な雰囲気に包まれます。
江戸三大祭り③:神田祭
「日本三大祭り」の「神田祭」をご参照ください。
本当は日本三大の一つかも?京都三大祭り
京都からは、日本三大祭りのひとつに「祇園祭」が入りますが、歴史ある古都京都では、毎日京都のどこかでお祭りや行事がある、と言われるほど、たくさんのお祭りがあります。
どれも有名な「京都三大祭り」について見ていきましょう。
京都三大祭り①:葵祭(あおいまつり)
- 5月15日
- 下鴨神社・上賀茂神社
「葵祭(あおいまつり)」は、正式には、「賀茂祭」といい、賀茂御祖神社(かものみおやじんじゃ/通称は下鴨神社)と賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ/通称は上賀茂神社)の例祭です。
古来、「祭」といえば、この「葵祭」を指したほどで、『源氏物語』の「車争い」にも、「葵祭」の斎王列が登場します。
本来は、「宮中の儀」、「路頭の儀」、「社頭(しゃとう)の儀」の3つから構成されていましたが、現在は、「路頭の儀」、「社頭の儀」の2つが行われます。
平安時代の装束を身にまとった王朝絵巻といわれるのは、このうちの「
路頭の儀」とされる行列で、これは、勅使(天皇の使い)が、下鴨神社・上賀茂神社に参る様子を再現したもの。
行列には、勅使代や検非違使に加えて、毎年、お祭りのヒロイン「斎王代」が市民の中から選ばれ、「葵祭」を華やかに彩ります。
京都三大祭り②:時代祭
- 10月22日
- 平安神宮
「時代祭」は歴史ある京都のなかでは新しく、明治28年(1895年)に始まりました。
明治時代に入り東京遷都が行われて以降、首都でなくなった京都は衰退していましたが、もう一度京都の復興を果たそうと、平安遷都から1100年の節目の年に作られたのが平安神宮です。
それと同時に、「時代祭」も始まりました。
「時代祭」の見どころは、京都御所から平安神宮までの道のりを練り歩く時代行列ですが、明治維新、江戸、安土桃山、室町など8つの時代に分けて時代風俗が再現され、平安時代の婦人列なども登場します。
見た目にも華やかな時代行列は、京都の伝統工芸の技術を後世に伝えることも目的にしており、衣装や道具は、すべて時代考証に基づいた本物が使用されています。
京都三大祭り③:祇園祭
「日本三大祭り」の「祇園祭」をご参照ください。
本当は日本三大の一つかも?大阪三大祭り
大阪からは日本三大祭りに「天神祭り」が入りましたが、かつて難波の宮(なにわのみや)が栄えた商都・大阪にも、もっとたくさんのお祭りがあります。
「大阪三大祭り」について見ていきましょう。
大阪三大祭り①:愛染祭り(あいぜんまつり)
- 6月30日~7月2日
- 勝鬘院愛染堂(しょうまんいんあいぜんどう)
「愛染祭り」は「勝鬘院愛染堂(しょうまんいんあいぜんどう/通称は愛染さん)」の夏祭りです。
大阪で最も早い夏祭りなので、大阪の「夏の訪れを知らせる風物詩」ともいわれます。
四天王寺の支院である「勝鬘院愛染堂」の歴史は古く、推古元年(593年)、聖徳太子の創建とされ、一説には「愛染祭」も聖徳太子が起源とされています。
初日には、四天王寺から僧侶が集まり、「夏越の大祓え大法要」を行って、疫病退散、厄除け開運を祈ります。
以前は、「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」と言って、JR天王寺駅から「勝鬘院愛染堂」への道を、「宝恵駕籠(ほえかご)」に乗った浴衣姿の「愛染娘」(お祭りのPRのために一般公募されるキャンペーンガール)が練り歩くパレードがあり、盛り上がりを見せていましたが、2019年4月現在、「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」や「愛染娘」の公募は中止されています。
大阪三大祭り②:住吉祭
- 7月30日~8月1日
- 住吉大社
「愛染祭り」で始まる大阪の夏祭りは「住吉祭」で終わるとされ、古来、「住吉祭」はお清めのお祭りとして「おはらい」とも呼ばれてきました。
大阪の住吉大社の創建はたいへん古く、神功皇后摂政11年(211年)とされ、古くから物語に登場するなど信仰を集め、全国の住吉神社の総本社でもあります。
「住吉祭」の見どころは、7月31日の「例大祭・夏越祓神事」で、夏越女や稚児らが茅の輪 (ちのわ) をくぐって御祓いをし、祭事では、神楽や住吉踊りが奉納されます。
参詣者も行列に参加することがができるので、茅の輪を3度くぐって御参りしましょう。
翌日午後の「神輿渡御(みこしとぎょ)」は、住吉大社から堺の御旅所まで神輿が練り歩きますが、住吉大社境内の反り橋(太鼓橋)を、重さ約2トンの大きな神輿が担がれていくさまは、大阪でも随一の迫力です。
大阪三大祭り③:天神祭
「日本三大祭り」の「天神祭」をご参照ください。
本当は日本三大の一つかも?東北三大祭り
東北三大祭り①:秋田竿燈(かんとう)まつり
- 8月3日~6日
- 秋田市
「秋田竿燈(かんとう)まつり」は、毎年夏に行われる秋田市のお祭りです。
「竿燈」を稲穂、「竿燈」にぶら下がった提灯を米俵に見立てて、それを額や肩などに乗せる技を競い、五穀豊穣を祈ります。
もとは「ねぶり流し(眠り流し)」という行事で、現在伝わる七夕のように、笹などに願い事を書いた短冊をつるし、最後は、川に流すものでした。
また、「竿燈」は、始めはお盆の高灯籠だったものが、持ち歩けるように工夫され、次第に競って大きくなったものだそう。
「秋田竿燈まつり」のはっきりした起源はわかっていませんが、これらが組み合わさって、現在のお祭りになったと考えられています。
「秋田竿燈まつり」の見どころは、「夜竿燈 」といい、町内270本以上の竿燈に火がともって、竿燈の技を競う演技が行われます。
東北三大祭り②:青森ねぶた祭
- 8月2日~8日
- 青森市
「青森ねぶた祭」は、毎年夏に開催される青森市のお祭りです。
起源はわかっていませんが、七夕の灯籠流しに関連があるとされ、「ねぶた」は灯籠のことだったのではないかとされます。
また、「ねぶた」の名前は、「秋田竿燈まつり」でも紹介した「眠り流し」が「ねぶた」に変わったものと言われています。
「青森ねぶた祭」の見どころは、巨大なねぶたが町内を練り歩く運行です。
夜間運行、昼間運行と海上運行があり、お祭りの会期中連日行われます。
祭りのメインである山車・ねぶたには、専門の職人ねぶた師がいて、各ねぶたごとに趣向を凝らした芸術性の高いデザインが施され、見物客の目を楽しませます。
東北三大祭り③:仙台七夕
- 8月6日~8日
- 仙台市
旧暦の7月7日にあたる8月6日から8日に開催される「仙台七夕」は、伊達政宗の時代からの歴史を持つお祭りです。
仙台市内の商店街や広場など、会場は、七夕飾りでにぎやかに飾り付けられ、町中が華やぎます。
「仙台七夕」の前日には「仙台七夕花火祭」が行われますが、「七夕前夜祭」と呼ばれることも。
「仙台七夕」は、仙台市内の七夕飾りを見て楽しむお祭りで、ほかの「東北三大祭り」に比べると、落ち着いたお祭りと言えますが、飾りに、「7つ飾り」と呼ばれる7つの縁起物が使われるなど、工夫が凝らされます。
紙で作られた「仙台七夕」名物の「吹き流し」や「くす玉」は華麗で、色合いが美しく、最近は「折り鶴」をその内側から撮影したフォトジェニックな写真もSNSによくアップされています。
本当は日本三大の一つかも?四国三大祭り
四国といえば、やはり思い浮かぶのが「阿波踊り」「よさこい祭」でしょう。
けれど、四国には、平安・鎌倉時代にその起源を持つとされる「新居浜太鼓祭(にいはまたいこまつり)」もあり、この3つを合わせて、一般に、「四国三大祭り」と呼んでいます。
四国三大祭り①:よさこい祭
- 8/9~8/12
- 高知市内
「よさこい祭」は、1954年(昭和29年)、高知商工会議所が地域振興をめざして開催したのが始まり。
現在は、踊りへの参加者が200チーム2万人を超え、見物客も4日間で100万人が訪れるなど、土佐の夏を盛り上げる祭りになりました。
「よさこい祭」は参加するそれぞれのチームが、踊りや音楽、衣装、”地方車(じかたしゃ/各チームに1台必須とされるトラック)”に工夫を凝らして、メダルを争いますが、ルールは、「よさこい祭」発足当初に発案された”鳴子”(音を出して田畑から鳥を追い払う道具)を使うことと、音楽の一部に、これも祭発足時に作られた曲”よさこい鳴子踊り”の一節を入れることのみ。
アレンジが自由な「よさこい」は、音楽にロックやサンバが使われるなど、幅広い年齢層に喜ばれる祭りとなっています。
四国三大祭り②:阿波踊り(あわおどり)
- 8/12~8/15
- 徳島市内
”踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々”という掛け声が有名な「阿波踊り」は、阿波国(あわのくに/現在の徳島県)が発祥の盆踊り。
その起源は念仏踊りとも言われますが、詳しくはわかっていません。
笛や三味線、太鼓などが奏でるお囃子に合わせて、踊り手たちが踊り歩き、徳島じゅうが熱気に包まれます。
「阿波踊り」の踊り手のグループは、「連」(れん)と呼ばれますが、その「連」が、「男踊り」や「女踊り」を一糸乱れずに踊りながら通り過ぎてゆくさまは圧巻です。
四国三大祭り③:新居浜太鼓祭(にいはまたいこまつり)
- 10/16~10/18
- 愛媛県新居浜市内
「新居浜太鼓祭」は、その起源を平安・鎌倉時代以前にさかのぼるとも言われ、「四国三大祭り」の中で最も歴史のある祭り。
秋の豊作を神さまに感謝する秋祭りで、毎年10月16日から18日までの3日間、新居浜市内で開かれます。
祭りのメインは、「太鼓台」(地元では「太鼓」とも)と呼ばれる神輿を乗せた巨大な山車の練り歩きですが、この「太鼓台」の「かき夫」(担ぎ手)は男性に限定されているため、古来、”男祭”とも呼ばれてきました。
「太鼓台」は、新居浜市内の3地区に54台ありますが、それぞれの「太鼓台」は、天幕や大きな房、飾り幕などで工夫を凝らして装飾されます。
見どころは”男祭”らしい豪快な「かきくらべ」。
重さ2.5トンにものぼる「太鼓台」を「かき夫」たちが持ち上げ、担ぎ上げ方の力強さや美しさなど、パフォーマンスを競います。
本当は日本三大の一つかも?博多三大祭り
最後に、「博多三大祭り」をご紹介します。
博多三大祭り①:博多どんたく港祭(はかたどんたくみなとまつり)
5月3日~4日
福岡市内各所
「博多どんたく港祭」は、ゴールデンウィーク中の2日間、博多をどんたく一色に染め上げるお祭りで、「どんたく隊」と呼ばれるグループが仮装やダンスを披露するなど、さまざまなパフォーマンスを繰り広げます。
もとは、「博多松囃子」という行事の一つであり、「松囃子」はお正月の松の内に行うめでたいお囃子のこと。
年賀の挨拶に、お面をつけた三福神たちが、あちらこちらを回って挨拶する行事でしたが、博多町人がこれを大きく発展させて、やがて市民のお祭りとなり、「博多どんたく港祭」は現在では「博多三大祭り」の一つになっています。
博多三大祭り②:博多祇園山笠(はかたぎおんやまがさ)
- 6月1日~7月15日
- 櫛田神社(曳き山笠巡行は櫛田神社~博多市街地)
「博多祇園山笠」は、櫛田神社の祭礼で、正式には「櫛田神社祇園例大祭」と呼ばれます。
豊臣秀吉によって、博多の町割りが行われたとき「流(ながれ)」と呼ばれる区画ごとのグループができ、これが現在の「山笠」を運営する7流(8流とも)につながりました。
見どころは、「山笠」を担いだ男たちが猛スピードで博多の街を駆け回る「追い山」で、約5㎞の距離を交代しながら走り、「山笠」ごとのスピードを競います。
博多三大祭り③:筥崎宮放生会(ほうじょうや)
- 9月12日~18日
- 筥崎八幡宮
筥崎八幡宮が秋に行う「筥崎宮放生会(ほうじょうや)」。
放生会はもともと生き物の殺生を戒めるための行事で、仏教では、鳥や亀などを野や池に放すことを指しますが、「筥崎宮放生会」は、殺生を戒める放生会であると同時に、秋の収穫に感謝する秋祭りでもあります。
お祭りの期間中、筥崎八幡宮では、さまざまな神事・行事が行われ、長い参道に500軒もの屋台・出店が並びます。
延べ100万人もの人が訪れる九州一の秋祭りと言われます。
日本三大祭りを紹介!見どころや歴史、各地方の三大祭りものまとめ
一般的には、祇園祭・天神祭・神田祭とされる「日本三大祭り」。
けれど、日本には、東京や大阪、京都だけではなく、博多や、東北、四国など、各地に地元で継承されてきたお祭りがあり、それぞれに由来や歴史を持っています。
また、見どころも勇壮なお祭りから優雅な王朝絵巻までさまざまです。
お祭りの歴史や見どころを知って、「日本三大祭り」やさまざまな日本のお祭りを、もっと楽しみたいですね。