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2018/12/20

香港のクーロン城の現在の姿は?都市伝説になってる街のルールや住人たち

かつて香港にあったという世界でも有数のスラム街「クーロン城」。一体今はどうなっているんでしょうか?廃墟のまま?今でも怖い地域なのか?当時の様子を知ることはできるの?謎に包まれたクーロン城の情報を、いろいろと見ていきましょう。

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正式名称は九龍城砦。クーロン城はいつできたの?

「クーロン城」は正式名称「九龍城砦」。そのクーロン城の始まりの歴史はなんと宋代に遡ります。
宋の時代というのは西暦960年から1279年の中国の王朝。中国三大奇書の一つ「水滸伝」の時代です。

この宋の時代に、香港付近の海に現れる海賊対策として、九龍地区に軍事要塞が作られたのがそもそもの始まりと言われています。
1668年に砦として九龍烽火台が設置されました。

1841年、アヘン戦争に勝利したイギリスは、当時の清国に香港の割譲を認めさせます。九龍半島も、九龍市街界限街より南部分が割譲範囲に入っているのですが、クーロン城はほんの少しそこから外れていたので清国の領地とされます。

のちに1898年、99年間の期限で香港を租借地とした時も、清国の飛び地となりました。

その後、中華民国が樹立すると、イギリスと中華民国の間でクーロン城の施設管理権の堂々巡りが続いていました。

1941年には日本軍が香港を占領します。この時にクーロン城の城塞が取り壊されます。やがて、第二次世界大戦を経て、クーロン城はイギリスの領地となります。
中国国内は蒋介石が率いる国民党と、毛沢東率いる共産党の間で内戦が繰り広げられ、動乱の時代に突入。
イギリス・中国、どちらの主権も及ばない香港・クーロン城へ、難民ととなってなだれ込んでいく人々が増えていきました。

難民のクーロン城への流入は、国内情勢が落ち着いた1960年代になっても続きました。
そしてクーロン城には難民のバラックが作られていきます。

1970年代になると、鉄筋コンクリート造りのペンシルビルが作られますが、無計画な建築のために、迷路のような街区となっていきました。
「クーロン城に一回入ると出てこられない」と言われるぐらいの迷路っぷりだったのです。

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都市伝説の街?クーロン城の内部はどうなっていたの?

無計画建築でどんどんスラム化が進んだクーロン城。その内部は一体どうなっていたんでしょうか?あまりのスラム化に、都市伝説も様々生まれていました。
例えば・・・

  • 香港のホテルやレストランで出される点心の大部分はクーロン城で作られていた。
  • 200m×100mというかなり狭い空間に5万人もの住民がいた。(一畳あたり3人が住んでいるという感じ・・・。)
  • クーロン城の取り壊しの時、最後まで残って注意されてしまったのは日本のテレビクルーだった。
  • 香港の街の露店で売られている品物の半分はクーロン城内で作られていた。
  • ヘロインやアヘンを売っている屋台街があった。

など。

1986年ごろまで、鉄筋コンクリートのビルの周りには木造のスラム街ができていて、外からビル内部の様子を伺うことができない状態でした。

クーロン城の中にある通路にはそれぞれ名前もあったそうです。光明街、老人街、大井街、龍津街などなど。

そして無秩序に作られた建物内部の衛生状況は決していいとは言えませんでした。
通路の天井からは電線やホースが垂れ下がり、もし下水管が壊れたとしても修理できずに汚れた水が頭上から降ってくるという・・・。そんな通行さえも出来ないような通路もあったようです。

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クーロン城の住人はどんな人たち?日本人も住んでいたって本当?

世界でも有数のスラムと化していた街、クーロン城。「東洋の魔窟」とも言われたそのクーロン城の住人ってどんな人たちだったんでしょうか。住人の中には日本人もいたんです。

1986年に、クーロン城にあった木造のスラム街が撤去されると、鉄筋コンクリートのビル街が顔を現します。
そうすると「牙科」「牙醫」といった看板が軒を連ねる様子が見えてきました・・・。

「牙科」「牙醫」は歯医者さんという意味です。
当時、香港で医師になるためにはイギリスの医師免許が必要とされていました。
しかし、そこは何と言ってもイギリス・中国両方の主権が及ばない「無法地帯」です。クーロン城で医師として開業するのに免許は必要なかったんですね。

でも、無免許とはいえ、クーロン城で開業していた人たちは、中国での医師免許を持っていた人が多かったようです。

幼稚園や学校、飲食店やスーパー、老人ホームもあり、基本的には普通に生活している人が多かったと見られています。

また、1980年代に「家賃が安い」という理由でクーロン城に住んでいた日本人もいました。
2017年に日本のテレビ番組に出演、当時のクーロン城の様子を語り、話題になりました。

その日本人とは、吉田一郎さん。現在はさいたま市議をされていて、クーロン城に関する本も出版しています。

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無法地帯と言われたクーロン城にもルールがあった!治安は?

「東洋の魔窟」と言われ無法地帯だったクーロン城。でもそんなクーロン城にも、普通に暮らす人々がいました。
そのため、無法地帯と言われたクーロン城にも、実はルールがあり、住民たちによって、クーロン城内の治安が守られていただんだとか。

1950年代、60年代は治安が悪かったクーロン城。でも1970年代に入ると、住民たちが自警団を組織するようになります。そのため、クーロン城内の治安がある程度守られるようになりました。

1984年、英中共同声明が発表され、1997年に香港が中国へ変換されることが決まります。その後、香港警察の警官が定期的に巡回をするようになり、クーロン城の中はさらに治安が保たれるようになったんです。

その頃は、他の香港の地域よりも、クーロン城の方が安全だと言われるぐらいだったんですよ。

無法地帯と言われたクーロン城。そのクーロン城に唯一決められていたルールがありました。
それは何かというと、建物の高さ。無計画、無秩序に作られて続けていったクーロン城のビルですが、実は高さだけは一定の基準があったのです。

なぜなら、かつてクーロン城のすぐそばに当時の香港国際空港の啓徳空港があり、クーロン城上空を飛行機が飛び交っていたのです。
そのため、一定の高さを越えると飛行機が飛べなくなってしまいます。

当時の啓徳空港は、「世界一着陸が難しい空港」と言われていました。空港が香港の街のすぐそばにあり、林立するビルをかすめるように飛行機が降下していく様子は、香港名物でもあったんです。

クーロン城の建物は14階までと規制されていました。
クーロン城でただ一箇所、風が通り日の光を浴びることができる屋上では、上空を横切る飛行機がみられ、しかも啓徳空港が一望できたんだそうですよ。

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クーロン城はなぜ取り壊しされてしまったの?

様々な都市伝説に彩られ、それなりに人々も暮らしを続けてきたクーロン城ですが、1993年から取り壊し作業が行われます。なぜ取り壊しに?

1997年の香港返還が決まり、香港政庁が1987年からクーロン城排斥を始めます。
クーロン城をイギリス領として、香港のルールを適用させ、
取り壊しを発表します。

住人を、クーロン城周辺のアパートや香港郊外にあるベッドタウンにある、政庁が建設した高層アパートに住民を移住させる計画を公にしますが、多くの住民はそれに異議を唱えました。
補償金の問題などがあったようです。

そういう住民は反対行動を始めます。夜中に抗議集会が開かれ、香港政府批判のビラが通路のいろんなところに多数貼られました。

クーロン城で店舗営業していた人たちが、最後まで立てこもって戦いました。警官隊との攻防戦です。ですが、抵抗むなしく、やはりクーロン城は取り壊しが決定し、みんなそれぞれの場所へと引っ越ししていったのです。

1993年から始まった取り壊し工事。1995年になると低層スラム街だった場所が整備されて、賈炳達道公園が作られます。公園内にはサッカー場、バスケットボールコート、マウンテンバイクの走行コースなんかが設置されました。

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現在のクーロン城は?九龍城砦周辺のおすすめ観光地5選!

住民の反対運動もむなしく、取り壊されたクーロン城ですが、現在はどうなっているのか、気になりますよね。かつてのスラム街の面影は消え、香港の新たな観光スポットとして生まれ変わっています。

では、クーロン城の観光地をみていきましょう。
クーロン城には、以下の観光地があります。

  1. 賈炳達道公園
  2. 九龍寨城公園
  3. 九龍城街市
  4. 重慶大厦
  5. 黄大仙祠

続いて、クーロン城の観光地を、それぞれ詳しくみていきます。

クーロン城の観光地①: 賈炳達道公園

クーロン城の低層スラム街だった場所に作られた公園で、バスケットボールのコートや小さなサッカー場、それにサイクリングコースなどが整備されています。
緑も多く、週末にのんびりここで過ごすのも良さそうすね。家族連れも多くみられます。

賈炳達道公園
住所: 53 Carpenter Rd, Kowloon City, 香港
電話番号: +852 2716 9962
営業時間:24時間
入場料: 無料
URL:https://www.hongkongnavi.com/miru/62/

クーロン城の観光地②: 九龍寨城公園

賈炳達道公園 と隣接している九龍寨城公園。
「南門懐古」という、1843年に当時の王朝・清国の政府が九龍寨城を建設した時の門の跡が残っています。

また、かつてのクーロン城の姿を再現した模型もあるんです。

さらに、中国式の美しい庭園などどもあり、あのスラム街だったクーロン城の名残はほぼ感じられない、綺麗でのどかな風景が広がります。

また、中にはクーロン城の歴史を振り返ることができる資料館も作られています。ここはかつてクーロン城の老人ホームだったところを改修して作られました。

資料館の中ではかつてのクーロン城の写真や映像を見ることができます。

九龍寨城公園
住所: 香港 九龍城
電話番号: +852 2716-9962
営業時間: 6:30-23:00
入場料や利用料: 無料
URL:http://www.lcsd.gov.hk/tc/parks/kwcp/index.html

クーロン城の観光地③: 九龍城街市及熱食中心

クーロン城を観光する際、グルメも楽しめる場所だったらここ!クーロン城の街、つまり九龍城街には香港グルメが勢ぞろいです。

香港グルメ食べ歩きと、香港の昔ながらの風景の二つが楽しめる場所がこの街。

この街の中に室内フードコートがあるのですが、
それが九龍城街市及熱食中心。スーパーマーケットとフードコートが一つにまとまった建物です。

フードコートは3階。リーズナブルに香港グルメが楽しめます。
九龍寨城公園からすぐの場所なので、散策帰りに食べ歩きツアーというのもいいですよね。

九龍城街は昔ながらの6階建ぐらいの高さのビルが習び、少しレトロな懐かしい香港の雰囲気が味わえます。
また、東南アジア系の各国料理も楽しめるグルメタウンとしても知られています。

九龍城街市及熱食中心
住所:102 Nga Tsin Wai Rd, Kowloon City, 香港
電話番号: +852 2383 2224
営業時間:6:00~2:00
URL: https://www.fehd.gov.hk/english/map/market/market_pt.html?mapID=656&type=market

クーロン城の観光地④: 重慶大厦

香港の中に息づく、かつてのクーロン城。実は香港の中にはクーロン城に似た建物が今でもいくつか存在します。

その一つが「重慶大厦」。1961年完成、世界のバックパッカーに愛される安宿が数多く入居するビルです。

宿泊施設だけはなく、両替店、アフリカ料理やカレーの店、アジア系の民族衣装を扱う店やテイラー、雑貨店なども数多く入居しています。こういったお店を訪ねる観光客も多いんですよ。

そしてこの重慶大厦は数多くの映画や物語の舞台となっています。有名なのはウォン・カーワァイ監督の「恋する惑星」。その斬新な撮影方法とストーリー展開で新たな香港映画の境地を開いた作品でもあります。

金城武やトニー・レオン、フェイ・ウォンといった当時の若手スターがこぞって出演していたことでも話題になりました。
香港映画ファンにとってもたまらない場所です。

重慶大厦
住所: b2, Chungking Mansion, 36-44 Nathan Rd, Tsim Sha Tsui, 香港
電話番号: +852 2724 3813
URL: http://www.chungkingmansions.com.hk

クーロン城の観光地⑤: 黄大仙祠

正式名称は赤松黄大仙祠、あるいは嗇色園黄大仙祠と言います。ここは香港ナンバーワンのパワースポットと言われています。

どういう場所かというと、香港で最も有名な道教寺院の一つ。1915年に創建され、現在の場所に移転したのは1921年。黄大仙のお告げによってこの場所に決まりました。
黄大仙は修行を積んで仙人になったと言われる人物です。

道教カラーに彩られたカラフルな寺院を見ていると、それだけでパワーがもらえそうですね。

寺院の周囲には100以上の占い師さんのブースや風水のお店がずらり!香港の人は占い大好き。香港の旅の記念に、占ってもらって見るのもいいですね。

黄大仙祠
住所: 2 Chuk Yuen Rd, Chuk Un, 香港
電話番号:+852 2327 8141
URL: http://www1.siksikyuen.org.hk/

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かつてのクーロン城は写真で見ることができる!

今はもうなくなってしまったクーロン城ですが、在りし日の姿を写真で見ることはできるんです。

1980年代の後半、クーロン城に入り込み、当時の様子を写真に収めた人物がいました。
カナダ人の写真家、グレッグ・ジラード氏です。

その貴重な写真を数多く掲載した写真集「City of Darkness」が出版されています。

4年間にわたってクーロン城の中の様子を写真に収め続けたジラード氏。彼の写真によって、外からはうかがい知れなかったクーロン城の中で暮らす人々の様子を覗くことができます。

そこには「魔の巣窟」と言われたクーロン城で、平穏に暮らす人々の普通の生活がありました。

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クーロン城をモデルにした映画やゲームも!

ほぼ伝説のカオス的存在のクーロン城。そのクーロン城をモデルにした映画やゲームも作られています。

香港スターのアンディ・ラウ、そしてドニー・イェンが主演の映画「追籠」に九龍城砦が登場します。しかしもちろんこれは映画のために作られたセット。

でも、当時の九龍城砦で撮影した経験があるアンディ・ラウによるとそのセットの完成度は「90%」ぐらいでなかなかに当時の様子をしっかりと再現していたよう。

他にも日本の劇場用アニメ「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」やゲームソフト「クーロンズゲート」「シェンムーII 」なんかもクーロン城のイメージが反映されています。

ちなみに、最初に出てきたアンディ・ラウですが、1990年公開の映画「欲望の翼」に出演しています。この映画はウォン・カーワァイ監督の作品で、当時の香港映画界若手スターが勢揃いして話題となった作品。

実はこの映画も九龍城砦での撮影があったのですが、公開されたときには全てそのシーンはカットされてしまっていたんだとか。

そしてその貴重な映像が収められているはずのフィルムも、現在では行方不明だそうです。ちょっと残念ですね。

<下に続く>

日本の川崎にクーロン城がある?

レトロ好き、廃墟好きの心をくすぐるクーロン城。そんなクーロン城がなんと日本の川崎にあるというのです。ちょっと見てみましょう。

クーロン城をモデルに作られたゲームセンター、「ウェアハウス川崎・電脳九龍城砦」

「電脳九龍城砦」というだけあって、建物に入ると、かつての九龍城の雰囲気ををかなり忠実に再現しています。

コンセプトは「非日常と大人の高級感」だそうで、18歳未満の方は入場不可となっています。

建物の2階までがクーロン城風となっています。
かつてのクーロン城の雰囲気を日本でも!
伝説のカオスを味わいに川崎へ行ってみては?

アミューズメントパークウェアハウス川崎店
住所: 〒210-0024 神奈川県川崎市川崎区日進町3−7
電話番号:044-246-2360(アミューズ)
営業時間: 月〜金 9:00〜23:45
土日祝 7:00〜23:45
入場料規制:18歳未満不可
URL: https://www.warehousenet.jp/store/storeinfo.php?id=210

<下に続く>

まとめ 香港のクーロン城の現在の姿は?

今は取り壊されてのんびりした公園などに生まれ変わっていることがわかりました。また周辺にもいろんな観光スポットがあります。

香港に行ったら一度はクーロン城のあった地区へ足を伸ばしてみては?かつて世界最悪と言われたスラム街が、美しい公園に生まれ変わっている様は、時の流れを感じさせ、ノスタルジックな気分に浸らせてくれるかも。

国際都市香港の歴史の一部分を垣間見られる観光スポットですよ!

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