どこいく|国内・海外旅行のおすすめ情報メディア
2019/05/24

日本の三大名城はどこ?天守閣で選定した城など5説紹介!

日本国内には数多くの城がありますが、どこの城が一番人気だと思いますか?
大阪城や姫路城など様々な人気城がありますが、現在日本国内に城は約60あるといわれています。

今回はそんな城の中から三大名城といわれている城にスポットを当てて紹介していきます。

本コンテンツは当サイトが独自に制作しております。各広告主様やアフィリエイトサービスプロバイダ様から商品案内や広告出稿をいただくこともありますが、各事業者様がコンテンツ内容等の決定に関与することはございません。本サイトは広告およびアフィリエイトサービスにより収益を得ています。コンテンツ内で紹介した商品が成約されると、売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
Large statue 1010936 640 a

日本の三大名城にはいろんな説がある

侍の防具

まず日本三大名城は何かというと、実は様々な説明があります
そこには訳があり、城に対する評価基準が様々な観点から見ることができるからです。

日本三大名城の例として機能美に優れた城や、規模的に大きな城、天守閣の評価などの観点から見たことでいくつもの日本三大名城説が生まれています。

<下に続く>

日本の三大名城の候補は6つ?

日本三大名城の様々な説の中でも約60ある城の中で、候補は6つに絞られています。
日本三大名城候補について一つずつ見てみましょう。

大阪城

大阪城は安土桃山時代に築かれ、江戸時代に修築された城で、錦城ともいわれている名城です。
現在見ることができる大阪城は数々の修築を重ねられたものです。

豊臣氏により建設された大阪城はのちに大坂夏の陣などを経て徳川が領主となり1629年に完成したのですが、数々の出火や落雷により破損し1665年以降は天守閣を持たない城になっていました。
以後も徳川が新政府に大阪城を開け渡した1868年前後に混乱による出火で、大阪城の建造物のほとんどが焼失しました

現在ある大阪城は戦時に焼失した大阪城を再建設したもので1950年から現在の形を残しています。
2006年には日本100名城にも選ばれており、大阪では定番の観光名所になりました。

天守閣は豊臣、徳川時代の保存年数よりも長いもので、現在の天守閣は国の登録有形文化財にも指定されています。
また、城内の様々なものが重要文化財に指定されています。

大阪城は日本で一番高い石垣を持っており、最大で30メートルにもなるお堀があるのが特徴で徳川時代に築かれたものも多く残されています。
繁栄と衰退を経験した大阪城は現在も多くの人を魅了する日本の名城です。

名古屋城

元々は織田信長が産まれた地といわれている那古屋城があり、後1610年から徳川家康が建築した城で、大阪と江戸を繋ぐ拠点として重要な要所となっていた名城です。
1614年に本丸が完成し、その後明治維新までの間、徳川の主要城として繁栄しました。

第二次世界大戦中の名古屋大空襲により、ほとんどが焼失しましたが本丸御殿障壁などの一部は戦火を免れ現在にも重要文化財として残されています。
1954年に焼失した本丸などの再建築され今の名古屋城の形ができました。

名古屋城の特徴は城といえば思い浮かべる人も多いシャチホコといわれている金鯱です。
もともとは魔除けとして飾られていた鯱がいつしか権威の表れとなり、名古屋城には金色の鯱が飾られています。

熊本城

熊本城は1591年から1607年の間で初代城主の加藤清正により建設された城です。
城づくりの名手といわれた加藤清正の最高傑作である熊本城は数々の戦においても崩れることのない武者返しといわれる石垣をもっていました。

明治維新の時代には西郷軍率いる大砲隊による攻撃を54日間耐え勝ち抜いたほどの強度を誇る石垣は加藤清正が工夫を凝らした名城と言われる理由の一つです。

加藤清正の死後に加藤家は衰退し25年という短い期間で幕を閉じ、細川忠利が城主になりました。
細川忠利は和歌や茶道でも有名な細川藤孝や戦国武将の明智光秀の血を引く文武両道な人間で、熊本城内に藩校や医学校を建てて熊本の文武両道・質実剛健を育てたともいわれるほどの領主です。

現代でも加藤清正が語り継がれるのは、細川忠利が加藤清正を蔑まず、敬意を表していたため地元の人にも語り継がれていたようです。
今なお熊本城が厚い支持を受けているのは、城主の行いなどが関係しています。

日本の地盤の関係もあり昔から震災の多い地域で熊本城も多くの被害を受けてきた熊本城でしたが記憶にも新しい熊本地震により現在は石垣や櫓などが倒壊する被害がありました。
現在熊本城は修繕工事中で復興まで10年かかるといわれていますが、数々の困難を乗り越えてきた熊本城は多くの方の支えにより再建されています。

姫路城

日本で初めての世界文化遺産に指定されたのが姫路城です。
姫路城はその見た目から白鷺城とも呼ばれており城郭建築の最高峰と名高い名城です。

豊臣秀吉のイメージが強い姫路城ですが元々は1346年に赤松貞範が築城したもので始めは姫山城と呼ばれていました。
後に赤松氏と小寺氏が入れ替わりながら城主を務めていましたが、1545年に黒田官兵衛の祖父に当たる黒田重隆が城主となりました。

戦国時代には姫路城は中国地方と近畿地方を繋ぐ拠点として重要視され1580年に黒田官兵衛が豊臣秀吉に献上したことにより秀吉が姫路城の城主になりました。
秀吉は大改修を行い、三層の天守閣などを築き時代を先取りしたような先進的な城をつくりました。

秀吉が大阪城に移った後も、弟の秀長などが二代に渡り姫路城をおさめていました。
後1600年におきた関ヶ原の戦い以降は池田輝政が城主となり約8年の大改修を行い、ここで現在のような姫路城ができたといわれています。

以降は多くの大名が入れ替わりで城主を務め、最後は酒井忠邦が勤めました。
明治に移ると姫路城は軍事施設として利用されますが、大正以降は軍事に使用されていない場所を公園化して一般公開するなどの対応もされてきました。

太平洋戦争時には黒い網をかけて目立たなくするなどしましたが1945年7月3日に姫路大空襲を受けてしまいます。
ですが奇跡的に損害を免れて、現代にもそのままの形を残しています。

1931年には国宝1993年の世界遺産登録など日本を代表するといっても過言ではない優美な名城です。

江戸城

日本で最も認知度が高いであろう江戸城は東京の千代田区に位置し現在皇居として天皇が住まわれている場所です。
元々江戸氏という武士が納めていた土地で江戸城と呼ばれているルーツはその名前にあるといわれています。

その後は扇谷(おうぎがやつ)上杉氏が入り、家臣であった太田道灌が1456年から江戸城を築城しました。
後に北条氏が入りますが豊臣秀吉に滅ぼされ、空いた江戸城に1590年徳川家康が入ることになり戦で荒れ果てた江戸城の再建を行いました。

再建された江戸城は真っ白だったと記録されているようで、城壁や屋根瓦、石垣まですべてが白いお城でした。
黒や金などの権力を象徴する色が主流だった時代に白いお城を建てたのには、太陽を連想させる色として平和を象徴するお城だったようです。

江戸城には約60メートルもある天守閣がありましたが、1657年に起きた「明暦の大火」で焼けて以降、再建することはありませんでした。
元々は天守閣も再建する予定で、現在にも残る巨大な御影石の天守台まで作っていました。

しかし、会津藩士の保科正之が、天守閣の再建をストップさせました。
天守閣は元々権力を象徴し、大名を統制するためにありましたが、統制のシステムが整った天下泰平の時代だったため、天守閣を作らないことで平和を表したそうです。

こういった経緯から天守閣の存在しない城になりました。
国内最大の城郭を持っていた江戸城がそのまま皇居になっているため外堀もかなり距離がありランニングコースになったりしている多くの人に愛される場所となっています。

現在は皇居となりましたが一部が一般公開されていて、ツアーなどもくまれています。

伏見城

伏見城と聞くと少し馴染みがないような感じですが、安土桃山時代といわれているのは、桃山城ともいわれていた伏見城安土城のことを指しています。
1592年に豊臣秀吉が隠居のために築城したもので、1594年から豊臣秀吉が入城していました。

しかし、二年後に地震によって倒壊してしまい約500メートル北に名前を変えて指月伏見城という名前で再建設されました。
1597年に伏見城が完成しますが、その翌年に豊臣秀吉はなくなっています。

後に徳川家康が城主を務めますが、関ヶ原の戦いで石田三成に攻め入られて、大半の建造物が焼失してしまいます。
1602年、徳川家康によって再建が行われ木幡山伏見城が建てられます。

その木幡山伏見城は1619年に徳川家光によって取り壊されてしまいました。
現在は伏見城跡付近に洛中洛外図に記録されていた伏見城を参考にして5重6階の大天守と3重4階の子天守などが作られています。

伏見城跡にはかつては「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地があったという少し変わった経歴がありました。
この時に再建された伏見城を京都市民の運動により保存することになりそれが現在にも残されています。

内部に入ってみることはできませんが、美しい外観はドラマの撮影で使われたりもしています。
現在は城内に御香宮神社もあり伏見城で使われていた重要文化財の大手門を見ることができます。

<下に続く>

日本の三大名城:説①「大坂城・名古屋城・熊本城」

まず最初に解説する日本三大名城は大坂城・名古屋城・熊本城の三つを日本の三大名城とする説です。
この三つの名城は設計者に大きく関係します。

三つの城は江戸時代初期に城づくりの名手として名高い加藤清正、藤堂高虎が設計したもので、さらにその中でも機能美の優れたものになります。
石垣などの強度が高く敵から攻められにくい屈強な城だったようです。

姫路城は設計者が池田輝政のためここにはラインナップされていません。
大坂城・名古屋城・熊本城は設計者でみた場合の日本三大名城になります。

<下に続く>

日本の三大名城:説②「名古屋城・姫路城・熊本城」

日本三大名城二つ目の説は、天守の規模を評価したものになります。
実際には江戸城の天守は最大規模のものでしたが、天守の再建は行われなっかたためここには含まれていません。

また大阪城も1665年に落雷の影響で天守閣は焼失しているため、ここには選ばれていません。
実際はこの中で当時の天守閣が存在しているものは姫路城のみで、ほか二つは外観のみを復元した天守閣になっています。

<下に続く>

日本の三大名城:説③「名古屋城・江戸城・大阪城」

日本三大名城三つ目の説は、城郭の規模をもとにした選定された説です。
城郭とは天守閣をはじめ外壁や堀、櫓などの城を構成する建物すべてを含めたものになります。

最大規模を誇っているのは江戸城でこの二つと比べても圧倒的規模を誇っています
また大阪城も現在残っている大阪城は豊臣秀吉の全盛期では現在の四倍の大きさがあったと言われており、日本の一つの時代を築いた将軍の権力がわかります。

<下に続く>

日本の三大名城:説④「江戸城・大阪城・熊本城」

日本三大名城四つ目の説は、2008年の日本名城百選によって選ばれた江戸城・大阪城・熊本城です。
理由は明らかにされていませんが、歴史的な経緯や保存状態、文化財として優れているものなどの観点から評価された日本三大名城といわれています。

他の名古屋城は4位、姫路城は7位となっていて、彦根城や松山城が入っている形です。

<下に続く>

日本の三大名城:説⑤「大坂城、江戸城、伏見城」

これは戦国『城』ランキング100というランキングで決められたもので大坂城、江戸城、伏見城の三つが名城となっています。
ランキングの名前の通り、城の規模や防御力などを評価してつけられた日本三大名城です。

他にも名古屋城は5位、姫路城は8位、熊本城は11位となっています。
三大名城としては少し外れますがこのようなランキングも出るほど三大名城の選定は難しいものということです。

<下に続く>

それぞれが魅力的な日本三大名城

日本の城

以上が日本三大名城と言われている城についてでした。
様々な説がありますが、それぞれの城に歴史があり、それぞれの良さがあります。

これらの日本三大名城の他日本国内にはにも日本最古の天守閣や最も小さい城など面白い城が多くあるので、旅行などの際はぜひ名城も訪れてみてください。

Thumb 45413339 296376170978438 8293943338793435136 n
written by

国内・海外旅行のおすすめ情報メディア「どこいく」の編集部です!
毎日参考になるおでかけ情報を発信しています!

関連記事
おすすめ記事
Dokoiku add line image
どこいくの
おすすめ記事がLINEに届く!
Add line
人気のおすすめ記事
Dokoiku add line image
どこいくの
おすすめ記事がLINEに届く!
Add line