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2019/02/11

クンストカメラはロシア初の博物館!本物?偽物?見どころと歴史を紹介

クンストカメラという名前をどこかで耳にしたことはありますか。
カメラとなまえがついているから、ロモのようなロシアのトイカメラをイメージしたひともいるかもしれませんが、こちらのクンストカメラはカメラではなく、知の結晶のような場所=博物館です。

このクンストカメラはロシア初の博物館で、18世紀初頭に作られていました。
それではクンストカメラへの行き方をはじめ、見所を詳しくご紹介します。

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ロシアにあるクンストカメラってなに?

クンストカメラ

クンストカメラとは、いったいなんでしょうか。
クンストカメラは、一つの建物の中にすべての知が詰まった場所です。

クンストカメラという音から、ロシア製のカメラか何かかと勘違いしてしまいそうですが、ちがいます。
それではクンストカメラとはなんでしょうか。

クンストカメラとは、実は博物館で、正式名前は、ピョートル大帝記念人類学・民族学博物館といいます。

それではクンストカメラについて詳しく今回はみていきましょう。

クンストカメラはロシアで最初の博物館

1st

クンストカメラは、先ほどものべたようにすべての知が集約したような場所だといわれています。
ロシアでは初めての公的な博物館といわれています。

このクンストカメラが建設されたのは、1714年のことだといわれています。
ただし、諸説ありどれが正しいのかは、わかりません。

まだ不明な点はありながらも一般的には、クンストカメラの創立に関係していたJDシューマッハが1714年にクンストカメラと名付けられたといったことで、この年に創立されたということになっています。

1761年にシューマッハは死にますが、実に彼が死ぬまでの47年間をこの博物館の運営にかかわっていた人です。

博物館の資料室とクンストカメラは、1714年には、創立されており、1724年にアカデミーオフサイエンスと提携するようになったと、シューマッハは書籍に残しています。

クンストカメラの意味は「驚異の部屋」

辞書

クンストカメラというのは、それでは一体何語で、どんな意味があるのでしょうか。
クンストカメラという言葉は、ドイツ語からきた言葉です。

ドイツ語ではクンストカンマーという言葉があり、その言葉の意味は興味深いものを集めた部屋です。

そのためこのクンストカマーを、日本語でよく「不思議の部屋」あるいは、「驚異の部屋」などと訳しています。

実際、この博物館に所蔵されているものの一部には、奇異なものが多いので、その名前は納得がいきます。
由来通りの博物館であることは、のちの章で詳しく説明します。

クンストカメラへのアクセス

それでは、ここでクンストカメラへの行き方をご紹介します。

クンストカメラはサンペテルブルグにあります。
博物館へのいきかたですが、公共の交通機関を使っていくことができます。

アドミラルティスカヤ駅からバスにのります。
バスの番号は、7, 24, 191です。

おなじ駅からトロリーバスも運行していて、そちらは、: 1, 7, 10, 11を利用しましょう。

ネフスキープロスペクトはメイン通りです。
この駅からも同上のバス、トロリーバスでは博物館までいくことができます。

入場料は細かく分かれていますが、おおまかには、大人300ルーブル、子供100ルーブルと覚えておくとよいでしょう。

また、毎月第三木曜日は無料開放されています。

クンストカメラ
住所:Университетская наб., 3, Санкт-Петербург, 199034
電話番号:+7 812 328-14-12
営業時間:11時00分~18時00分
定休日:月
入場料:大人300ルーブル、学生100ルーブル、毎週第三木曜日無料*5,6,7,8月は除く

クンストカメラ

<下に続く>

クンストカメラはピョートル大帝の個人コレクションから始まった

それではもう少し、クンストカメラについてみていきましょう。
もともとこれはピョートル大帝が興味を示したものを集めて保存していた建物でした。

モスクワからサンクトペテルブルグに首都が移転する動きがありました。

それを機に、ピョートル大帝は、自分のコレクション「tsar's cabinet」と呼んでいたものをペテルブルグに移動し、保存する建物を作ることを命じたのです。

設立者であるピョートル大帝は、将来的に、アカデミックオブサイエンスに必要なものをコレクションしていこうという考えが当初からありました。

当時はどのようなものが、ノーマルで、どんなものが普通でないかの定義もない時代でしたので、大帝の好みが色濃く反映された展示博物館となって知った旨は否めません。

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クンストカメラがあるロシア第2の都市、サンクトペテルブルク

美しい街として知られるサンクトペテルブルグは、ロシアの港町で、北部にあります。

サンクトペテルブルグの街の形成を見ていくと、最初は、ペトログラードという名前でした。
モスクワからちょうど640キロほど離れたところにある町で、ロシアでは二番目に大きな町です。

ヨーロッパの中でも一位か二位を争うほどに美しい町並みで知られています。
その美しさと歴史ある建物ゆえにユネスコの世界遺産にも登録されています。

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クンストカメラの美しい外観

クンストカメラは、ネヴァ川のほとりにたたずむバロック洋式の美しい建物です。
ピョートル大帝時代に建築されたことは、すでに明記したとおりです。

博物館の建物として世界的に見ても古いもののひとつで、天球儀が付いた美しい塔があるのが特徴です。

ネヴァ川沿いよりみるとブルーの小窓がたくさん並んで見えて、とてもきれいで、フォトジェニックな建物です。

建物のメインのデザインは、ドイツ人建築家でバロック時代の彫刻家でもあったアンドレアスシュルターです。

その後何名かの建築家によって建物は完成していきます。

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クンストカメラの見どころ①:世界各国の民族関連資料

ピョートル大帝記念人類学・民族学博物館という正式名所だけあり、クンストカメラの見どころのひとつが、各国の民族関連資料です。

その中には、我が国日本もあります。
能や歌舞伎、神楽に関連するものから幅広いジャンルでコレクションされているのに驚きます。

日本の職人によって、作られた工芸品も展示してあります。

今でも受け継がれている桃の節句であるお雛様も展示されていて、値段が付けれぬほど価値のあるものをみることができます。

また、アイヌ民族に関する資料なども整っています。

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クンストカメラの見どころ②:科学者ミハイル・ロモノーソフの展示室

見どころの二つ目としておすすめは、18世紀の科学者であるミハイルロモノーソフの展示室となります。

ミハイルロモノーソフは科学者だけでなく哲学者としても知られて人物でした。

そんな彼のコレクションは、とても価値があるものを含んでいますが、個人的なものも収容されています。

大変ユニークなものが多く、14世紀から19世紀にかけての貴重な本や、絵画、彫刻などもコレクションとして保存展示されています。

ロシアの最も重要なアカデミックな会議でつかわれたという丸テーブルも展示室には保存されています。

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クンストカメラの見どころ③:ロシア全土から集められた「人間による珍奇かつ稀覯なもの」、人体標本

この博物館で、もっとも驚異、あるいは脅威を感じるのは、ロシア全土から集められたいわゆる奇形の人たちの標本ではないでしょうか。

フリークなどどよばれ、通常の腕や足、あるいは頭の形をしていいない人を標本として集めて展示しています。

たとえば、有名なフリークスにフォーマイグナティーブがいます。
背がひくいいわゆる小人、ドワーフと呼ばれていた人物です。

126cmしかなかったのですから、かなり小さい人物でした。
1830年代実際に存在していた彼は、その小ささでとても有名な人物でした。

そんな人物をたくさんあつめて展示した部屋がこの博物館にはあるのです。

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クンストカメラの見どころ④:フレデリック・ルイシュが手掛けた人体標本

奇妙な人体標本の中でも、ひときわ目をひく、あるいはそむけたくなるのが、解剖学者であったフレデリック・ルイシュによるコレクションでしょう。

グロテスクですが医学的にも価値がある解剖標本がこちらの博物館には保存され、展示してあります。

大量のホルマリン漬けの人体標本をつくったこの解剖学者はオランダ人で、彼の標本をまるごとピョートル大帝はコレクションしたのでした。

羊水の中にいる胎児の標本から、一歳児の右手のみがホルマリン漬けになっているものもあります。

子宮の中で三か月もしくは五か月ぐらいまで育った胎児なども標本になっています。

医学の発展に役立ったとおもわれるこの人体標本ですが、やはり気持ち悪さはぬぐえないコレクションです。

フレデリック・ルイシュは、本も制作しており、図版は子供の骨格標本をまるでいけばなのようにしてみせたものでした。

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クンストカメラの見どころ⑤:アルベルト・セーバが手掛けた動物標本

人間だけでなく、奇形の動物の標本もこちらの博物館には展示保存されています。
動物の標本は、アルベルトセーバによってつくられてました。

アルベルトセーバもフレデリック・ルイシュ同様にオランダ人で、かれは、科学者でした。

セーバは、エキゾチックな動物、魚、両生類、昆虫など多様な動物を収集することに興味を示していました。

セーバとルィシュの標本は、公式サイトのオンラインカタログよりみることができます。

かなりグロテスクなものですので、閲覧要注意です。

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クンストカメラの見どころ⑥:モンス兄妹の頭部標本

博物館には、奇形以外の理由でコレクションにはいった頭部の標本があります。
それがモンスといわれる男女の人物の標本です。

フレデリック・ルイシュによって頭部を標本にされてしまったモンスは、ピョートル大帝の妻キャサリンの愛人だったといわれている人物です。

彼の名前はウィレム・モンスといい、ドイツ人でした。
楽天家で野心家で、若いウィレム・モンスは、とてもハンサムな人物でもあったそうです。

そんな彼は、ロシアでピョートル大帝の妻の秘書としてまた、腹心の友となったのです。
11月のある月夜に、ピョートル大帝はウィレム・モンスと妻が密会をしているのをみかけ、怒り狂いすぐにモンスを牢獄に入れて死の宣告をします。

8日後モンスは処刑されるのですが、大帝は、彼の頭を瓶に入れて保存するのです。
この話にはいろいろと不可思議な部分がのこっているのですが、とりあえず、頭を標本にしたといわれています。

モンスがいなくなりすぐに、大帝とキャサリンは仲良くなるのかと思いきや、ともに夜をすごせなくなります。
大帝が大酒のみで体を壊したというのが理由の一つで、モンスを処刑して三か月後に53歳という若さで死んでしまうのでした。

一人になったキャサリンは、死ぬまでモンスの頭を自分のベッドサイドに置いておいたと言われています。

このウィレム・モンスには、アンナモンスという姉がいました。
実は姉のアンナモンスは、キャサリンと結婚する前に大帝が結婚を考えていた人物だったのです。

しかしながら、アンナと結婚できないまま、12年間の関係を終わらせます。

その後、1711年にアナは死亡します。
アナの死亡後、キャサリンは大帝と結婚しその後ウィレムモリスと出会います。

その後の下りは前述のとおりです。
アナの頭部はわかりませんが、ウィレムの頭部は、博物館でみることができます。

<下に続く>

クンストカメラの所蔵品は増えすぎて置ききれなくなった?

現在でもクンストカメラは世界でも群をぬいて大きな博物館のひとつです。
また、科学的な活動も活発に行われており、いまでは、百万点を超える展示物があり今も増え続けているほどです。

博物館長は、このままだと博物館にコレクションがおさまりきらなくなるだろうというほどまでにコレクションは増え続けています。

そのため、コレクションを保管するための倉庫を別途用意したほうがいいと市と協議をしているほどです。

<下に続く>

クンストカメラはロシア初の博物館!巨人は偽物?見どころと歴史を紹介のまとめ

なかなか遊びにいくことができないロシアですが、一風変わったものがみえるクンストカメラはおすすめの観光スポットです。

外国人からも愛されている博物館だけに、外国人向けのツアをもっと増やしていきたいと、博物館長は意欲満々です。

そんな博物館だけに、ぜひとも時間をみつけて訪れてみましょう。

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