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2019/01/08

古代エジプトの壁画に隠された魅力と謎!文字や神の意味とは?

古代エジプト文明は世界四大文明の一つで、3千年以上続いた歴史上最長の謎の多いものです。ピラミッドやスフィンクスなどの古代エジプトの遺跡には多くの壁画が描かれており、宇宙人の存在をうかがわせる壁画を含めて不可思議な文字や神々の姿が数多く残されています。
この記事では、国家の繁栄と多くの神々を崇拝した古代エジプトの歴史と魅力を紹介していきます。

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古代エジプトの壁画の不思議な魅力

エジプトの壁画には数々の絵柄があり、神話や古代の神、当時の風習が描かれています。
古代エジプト人が王を神格化して信仰を表す壁画には、長期にわたる古代エジプトの歴史が象形文字と一緒に刻まれています

それらが何を表しているのか、隠されたメッセージや謎があるのか否か、現代人には理解できない不思議な世界が描かれています。
そして、オーパーツと呼ばれる当時存在しないはずのものが記されているという壁画や、宇宙人の姿を描いたとされる壁画も見つかっています。

また、なぜ、どのようにして巨大なピラミッドが建設されたのかもわからない状態です。
人々の好奇心を駆り立てるエジプトの壁画の不思議な魅力をこれから紹介していきます。

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ピラミッドに描かれた古代エジプトの壁画

「古代エジプトの壁画」は、いろいろな遺跡から発見されており、ピラミッドの内部や観光地として人気があるハトシェプスト女王葬祭殿、ベニ・ハッサン村の墳墓群などです。
神殿の壁や天井などにもレリーフ(浮き彫り)や装飾に壁画は描かれています。

これらの壁画は、エジプト神話を描写するものから古代エジプト人の死生観を感じさせるものなど、また庶民の普段の暮らしの様子やスポーツをする人々、あるいはマジックをしているような人々などさまざまです。

エジプトはナイルの賜物と言われるように、紀元前3000年頃にその文明が成熟して、ファラオと称される君主が古代エジプトを統治し、ピラミッドなどを作りました。

紀元前2000年から1500年頃には壁画が描かれていたことが、発見された遺跡により判明しています。

ピラミッドは王の墓

ピラミッド(アラビア語でハラム)は、四角形の底面の上に角錐(かくすい)形に巨石をつみあげた建造物の総称です。
この頃のエジプトは神権政治であり、王は政治と信仰を掌握し神にも等しい存在として君臨して,死後に壮大なピラミッドが墓として作られました

ピラミッドには地下室があり、遺体を納める玄室、多数の部屋、回廊が張り巡らされています。

実際にピラミッドが作られたのはエジプト古王国からエジプト中王国時代(第3~第12王朝)の期間に限られ、現在までに130以上が発見されて、ジェゼル王(エジプト第3王朝)のピラミッドが最も古いものです。

古代エジプトのピラミッドで最も有名な「ギザ砂漠にある3基のピラミッド」の内、第4王朝クフ王のピラミッドが最大で、世界の七不思議の中で唯一現存する建築物です。

そして第4王朝カフラー王のピラミッドはクフ王のものより高台にあるため、より大きく見えています。

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古代エジプトの遺跡群に書かれた壁画

古代エジプトの遺跡群は、ピラミッドを始めとして、スフインクスなどに様々な古代遺跡が残っています。そして、これらの遺跡には古代エジプト王朝の宗教観や生活習慣を表す壁画が描かれています。

また、その中には「オーパーツ」(それが発見された場所や時代とが似つかわしくなく、なぜ存在しているのかが謎とされている物体)と呼ばれる壁画(飛行機や電球)も描かれています。

壁画の絵は古代エジプトの神話に基づいたもの

ピラミッド内部や遺跡の壁画には文字と一緒に鮮やかな色合いで神々の姿が描かれています。自然崇拝の多神教であった古代エジプトでは、生命の全ては神の恩恵、生活の全てを依存するという考えで、多くの神話が残されています

古代のエジプト人は、神話に基づいて、王であるファラオは太陽神ラーの子「ホルス神」の化身だと考え、神という存在は当時の人々にとっては絶対的なものでした。

そして、王がこの世に生きている間はハヤブサの姿をした「ホルス神」の象徴として壁画に描く時代もありました。
「ホルス神」以外に、壁画には神々の絵柄が色鮮やかに描かれています。

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古代エジプトの壁画の文字「神聖文字ヒエログリフ」とは?

「ヒエログリフ」は、「神の御言葉」という意味のエジプト語をギリシア語訳にしたもので、神聖な碑文に多く使用されたので神聖文字と称しています。
神聖文字の書体を分かりやすく簡素化したのが神官文字(ヒエラティック)、その手書き文字が民衆文字(デモティック)です。

「ヒエログリフ」は、事物を表す絵文字や絵柄の「表意文字」、24個のアルファベットである「表音文字」、意味を限定するための文字「限定符または決定詞」の、大別すると3種類の文字があります。

原則として、横書きでは右から左に読み、鳥や人の絵柄がある場合にはその頭部が向いている方向が文の始めになります(縦書きでは頭部の向いている方の行)。

壁画に記される神々を賛美する神聖文字

古代エジプトの日常ではもっと簡単な文字デモティック(民衆文字)が使われていましたが、「メデゥ・ネチェル」(神の言葉)と称されるヒエログリフ(神聖文字)は壁画の文字自体に霊的な力が宿るとされています。

王が新しい町を遷都すると、地方神ではなくエジプト全土で崇拝される全国的な神になり力を持つようになります。
このような状況で、古代エジプトの人々が神を讃え、神を喜ばせるための文字が刻まれています。

死者の復活を願う呪術性の高い壁画文字

古王国時代(前2650年頃~前2160年頃)後期のピラミッド内にも、王の来世での復活を祈願した言葉としてヒエログリフが刻まれており、同時に神秘的な力が現れるということでルクソール神殿の壁画にもヒエログリフが記されています。

中王国時代(紀元前21世紀~紀元前18世紀)になると、壁画に記された「葬礼文書(ピラミッド・テキスト)」と称されるフレーズは、ミイラを納める木棺に刻まれるようになりました。

新王国時代(紀元前1552年頃 ~紀元前1070年頃)には「死者の書」(死者の霊魂が肉体を去って死後の楽園に行くまでの過程と教えを描いたもの)がパピルス紙の巻物に記されて棺の中に納められました。

ヒエログリフの使用開始時期

「ヒエログリフ」は、楔形文字が開発された後に古代エジプト文明において発生しましたが、その使用開始時期については完全には解明されていません。

初期古代エジプト第1王朝 (前 3100頃~2890頃) の王「ナルメル」の様子が描かれている「ナルメルのパレット(祭事用化粧盤)」の文字が最古の「ヒエログリフ」と言われ、全エジプトのシンボルでもありました。

しかし、紀元前4000年頃のエジプト原始王朝時代に作られた土器が、最近になって発見され、それに記されたシンボルが「ヒエログリフ」にそっくりだそうですが、まだ完全には分かっていません。

ヒエログリフの解読が可能になったロゼッタストーン

「ロゼッタ・ストーン」とは、ヒエログリフを読み解く契機になった石碑のことで、プトレマイオス5世の時代に作られた法・規範を記したものです。
フランス人学者「シャンポリオン」が解読を行ってヒエログリフは解き明かされました。

治世一周年の際にメンフィス(古代エジプトの都市)に参集した神官たちによって決められた祭事の様子を伝えるためのものです。

1799年、ナポレオンのエジプト遠征中にフランス軍によりエジプトのロゼッタで発見されたもので、最終的にはイギリスのものとなり、現在は大英博物館で展示されています。

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古代エジプト壁画を書いた紙「パピルス」とは?

古代エジプト文明の象徴である神聖文字(ヒエログリフ)を書き記す(上記画像参照)ためにナイル川沿岸に自生する「パピルス」草から作った紙が用いられていました。

草を砕いて海苔のようにし、乾かしたものから紙を作ったので英語のペーパー、フランス語のパピアの語源になっています。

ギリシア、ローマ時代を経て中世まで使われましたが、羊皮紙がヘレニズム時代に現れて「パピルス」紙は衰退していきました。
そして、メソポタミア文明で生まれた楔形文字は粘土版に刻むため「パピルス」は使用がなくなりました。

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古代エジプトの壁画の謎①横向きの目

目は偉大な神のシンボル

壁画に描かれている「目」は、エジプト神話に出てくる『ホルス神の目』であるという説が有力視され、ホルスとはエジプト神話に出てくる偉大な「天空神ホルス」のことです。

右目は太陽の象徴とされエジプトの太陽神「ラー」の目で、左目は月の象徴で守護女神(ウジャト)の目と言われており、目にすべてのことを知る力があると信じています。

古代エジプトの歴代の多くのファラオ(王)は、このホルスに崇めていたようで、死後は自分こそがホルスになる存在だということを信じていたようです。

顔は横向きなのに目は正面

エジプトの壁画を見ると不思議な描かれ方をしています。それは顔は横方向で、目は正面を向いて描かれています。

そこには、偉大な神のシンボルである目を正面に表わして強調し、伝えやすくするためのもので、写実性や個性といった要素がそれほど求められていなかった背景があります。

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古代エジプトの壁画の謎②体と絵は正面なのに、顔は横顔

通常壁画では、顔と腰から下はほぼ横向きに描かれ、胴体上部と目だけは正面に向けて描かれています。

横顔の理由

また、その壁画で表現したい意味や神々の個性は、その衣装や頭の上に描かれているシンボルなどで表現されています。

横方向から見た表現がその物の本質を現わし、正面方向からの表現が個性を現わすという考え方もあります。

とくに神を賛美して、神とのコミュニケーションを大切にするため、横方向から見た表現で伝えたい内容を分かりやすく現わし、権威や威厳の表現と結びつけて慣習化したと考えられます。

また、単なる古代エジプト人の「芸術センス」に関係するという説もあります。

横顔でない例外の壁画

壁画には古代エジプトの伝統である「横顔」でない例外があります。
「ネブアメンの墓の壁画」では、顔を正面に向けて笛を吹く女性の楽士と手拍子を鳴らす人が描かれています。

これは、第18王朝の時代のアメンホテプ4世(紀元前1450年頃)が多神教からアテン神の一神教へ宗教改革をしようとしていた時期で、写実的、個性的に描くアマルナ様式と呼ばれる美術様式が流行った期間がありました。

これまでの単一的な横顔から、細かく人物を描こうとする写実的方法へ変化しますが、急進的な変化はうまくいかず、これらの活動は短期間で姿を消すことになりました。

ツタンカーメン王の厨子に描かれた神々は胴体全体がすべて横向きになっており、さらにその内の二体だけが正面を向いていますが、横向きと異なり顔の表情が現われています。
周りに目を光らせて、ツタンカーメンを守っているのでしょうか?

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古代エジプトの壁画の謎③数多く描かれた女性

古代エジプトの女性の役割

古代エジプト社会では遺産相続の権利は男女平等で、家長としての身分を継承する権利も女性が持っていました。

基本的に女性は家の外では働かない専業主婦で、主婦以外の女性の職業としては、女性を診る医者や女神に奉仕する神官、女性専用の祈祷師ぐらいでした。

女性は結婚し、子供を育て、夫が外で働いている間は家の中のことは全部女性が管理するという役割分担が明確でした。
古代エジプト社会は、現在の日本と似ている部分が多く、昭和時代後半位に進歩していたのですね。

対照的に描かれる女性と男性

壁画では女性は芸術的な表現として解りやすく描かれ、女性は日焼けしていない肌の色が明るい色彩で表現され、両足を合わせた姿で現わされています。

一方、男性は褐色の日焼けした肌の色で片足を踏み出した姿で、動的な印象を受ける描かれ方をしています。

また、古代エジプトの壁画などに描かれたナイル河谷の中央部に暮らしてきたヌビア人は、エジプト人とまったく異なった外見で描かれています。

エジプト人とヌビア人双方とも土着のアフリカ人ですが、エジプト人男性の肌の色には赤茶色絵の具を、エジプト人女性には薄い黄色を、そして男女に関係なくすべてのヌビア人に対してはこげ茶色あるいは黒色を使っています。

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古代エジプトの壁画の謎④重要な役割の犬

古代エジプトと犬の関係

人間の歴史の中で最も古いメソポタミア文明の頃から犬は登場します。犬を含めてペットは次のような重要な役割を持って登場します。

  • 人々に崇められる死を司る存在
  • 儀式の生贄
  • 永遠の命を願って動物も共に埋葬

当時の人は狩猟で野生動物をとらえ食料としていました。
人間よりもはるかに早く走ることができる犬は人々が狩りにも連れて行き、狩りの効率が上り、人口もしだいに増えていき牧畜や農業を営むようになりました。

こうした中、飼い犬が死ぬと聖獣として埋葬され、王が死ぬと飼い主と共に死後の世界に一緒に行くことになりました。

犬の頭を持つ冥界神「アヌビス」

「アヌビス」は冥界の神とされて、古くから崇拝されていました。
バラバラにされ死んだオシリス神(セト)の遺体を包帯に包んで、形を整えてミイラにして埋葬したことから、ミイラ作りの神とされました。

これが契機となり、エジプトのミイラはそれ以降は天の恵みを得るようにと「死ぬとミイラ」で埋葬される慣習になりました。

「アヌビス」は犬やジャッカルそのものの姿で埋葬される場合もあり、あるいは犬もしくはジャッカルの頭だけの場合もあります
ミイラ製造時の防腐処理に使われるタールと同じ黒色で壁画に刻まれています。

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古代エジプトの壁画の謎⑤家畜として飼っていた猫

古代エジプトと猫の関係

穀物を食い荒らすネズミを捕食するために住みついた野生のリビアヤマネコが、古代のエジプトでは人々を助けることに貢献しました。
これが家畜化の始まりと考えられ、ネズミのほかに毒蛇を退治してくれるため、猫と一緒に生活するのが一般的になりました。

そして、筋肉質で身体能力が高く、チーターと同じようにわき腹から膝裏にかけて筋肉が発達した猫は、訓練して狩りにも使われていたこともあったようです。

猫の神格化

「新王朝時代」(第 18~20王朝前、1567~1085年頃)になると、当初は害獣駆除のために家畜化していた猫の立場が変わりました。

太陽神ラーの化身として猫を捉えて、受胎と豊穣の女神バテストとしても尊ばれ、人々は猫の死を大切に扱い家族全員が喪に服したそうです。

さらに、猫の遺体は上質な布で包まれ、シダー油と香辛料で防腐処理が施されミイラとして地下墓地へ埋葬し手厚く葬ることが一般的になりました。

またファラオの顔とライオンの体を持つスフィンクスは神聖な神とされて、ネコ科の動物が深く神格化に関わっていました。

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古代エジプトの壁画の謎⑥壁画に描かれる多くの神々

古代エジプトの神々を太陽神ラーを中心に整理すると次のように分けられます。

  • 太陽神ラーが主神となる「太陽神話群」:ヘリオポリスを中心とする「ヘリオポリス系ナイル下流神話」
  • 太陽神アメンが主神となるもう一つの「太陽神話群」:ヘルモポリスを中心とする「ヘルモポリス系ナイル上流神話」
  • 創造神プタハの独立独歩系:メンフィスを中心とする「メンフィス系ナイル中流神話」

壁画に描かれる多くの神々

古代エジプトは、ナイル河の上流地域の上エジプトと下流地域の下エジプトに大きく二分され、それぞれの領域内で勢力争いを行い、エジプトを統一すると新しい首都ができ上がりました。

他の代表的な宗教とは異なり、エジプトの神々は一つの神として統一されておらず、また王の交代や各地域・時代によってさまざまな王(神)が現れてきます

さらに、さまざまな宗教の神々や教義などの一部が混同あるいは同一視されているため、複雑になっており体系的に神々を説明することができません。

壁画に神々を描く意味

古代エジプト人たちに神話をもとに崇拝されていた神々は人々の心の中に存在していました。

そんな中、ピラミッドやその他の遺跡のいたる所に「壁画」として、神を描くことにより言葉の通じない神とのコミュニュケーションの手段として神との交わりを行っていました。

壁画の多くは「日常と神への崇拝」を現わしており、日常の生活における力の分与や収穫の分与を祈願し、また、儀式を行って神への崇拝を示したり、祈りの実現を願うという意味を持っています。

エジプト神話の主神「ラー」

ヘリオポリスで信仰されていたエジプト神話の主神「ラー」は、ヘリオポリス神話をもとにして語られることが多い神です。

代表的な太陽神「ラー」は、後にアメンと同一視や混同されたり、逆に複数の神々が同じ太陽神としての役割を持つようになりました

そして、エジプト国内における王朝の興隆と衰微に伴い信仰のあり方が変わり、時代が進むにつれて古い神は他の神にとって代わったり、混同あるいは同一視されて一つの神になったりしていました。

エジプトがローマ帝国の傘下に入り、さらにイスラム教が流入すると、主要な古代信仰は消え去ったということです。

母なる女神「ハトホル」

美・愛・母性を役目を担う女神である「ハトホル」は、太陽神ラーの娘あるいは妻とされるなど複雑な立場にありました。
このことから多神教に共通して見受けられる生殖・出産・繁栄・母性などを司る女神の特色を持っています。

古代ギリシア神話におけるアフロディーテやアルテミスに相当する神として解釈することもできます。

牝牛の姿で聖獣として描かれたり、牛の角や太陽円盤などで飾った冠を着けた『人間の女神』の姿で描かれたりもしています。

再生の神「アンク」

古代エジプトでは、「アンク」とは再生を管轄する神で、人が死ぬと「最後の審判」を受け再生を下された者のみが来世で復活できると信じていました。この際に、復活を与えてくれるのが神「アンク」でした。

実際、「アンク」は上述の新王国時代にアテン王が宗教改革を行った時に一神教の崇拝対象になりました。

そのため、後のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教にも多大な影響を与えてユダヤ教のヤハウェやイスラム教のアッラーなど絶対神のもとになった神にもなりました。

創造の神「アメン」

元々はナイル川東岸のテーベ(現ルクソール)地方の大気の守護神、豊饒神で、紀元前2060年頃、中王国時代第11王朝のメンチュヘテプ2世がエジプト全土の再統一(首都はテーベ)をした後に、神としての価値が認められました。

末期王朝時代の第30王朝までの1,700年以上にわたり、ラー神と一体化して「ラー=アメン」としてエジプトの文明の中心に存在した「アメン」は神話世界において、神々の主神となりました。

ヘブライ語のアーメンは「然り」や「本当に」という意味ですが、「アメン」は、それとは無関係で、また聖書に出てくるセム系民族アンモン人とも無関係です。

豊穣の神「セベク」

古代エジプト人は浅瀬を渡る時にはワニを避けるために呪文を唱え、また崇拝もしていました。
「セベク」はワニの頭と人体を持つこともあれば、ワニの姿で描かれることもあります。

ナイル川の神として、特にファイユーム地方とコム・オンボ神殿周辺で崇拝された水と豊穣の神として信仰されていました。

時代が進んで、「セベク」はラーと同一視されセベク・ラーとなり、太陽神として崇拝されました。
オシリス信仰では、父オシリスのばらばらにされた遺体をホルスがナイル川から拾い集める際には、セベクの姿で現れたとされています。

コム・オンボ神殿は、発見当時の160年前は半分程砂に埋もれていました。
そして「セベク」が祀られ、豊穣神「セベク」と「太陽神ホルス」の2神が祀られている珍しい神殿造りになっています。

天の女神「ネフティス」

古代エジプトの神々家系図(上記画像)に示すように「ネフティス」は、オシリス、イシス、セトなどの兄弟姉妹でありながら、オシリスとイシスが夫婦になり、さらにオシリスと夫婦となったとされる複雑な家族関係を持っています。

そのため王権を守る役割を持ちつつ、オシリスのいる冥界と繋がりを持っており、死者を悼んで遺体を守る女神と称されています。
姉イシスと一緒に描かれることが多く、死者の棺には「ネフティス」女神が死者の頭のところに描かれています。

この姉妹は見た目はそっくりで見分けるのが頭の部分となり、玉座を載せているのがイシス、祠堂がネフティスです。

魔力を持つ大女神「イシス」

ホルスの母親「イシス」は、オシリスの妹であり、オシリスの妻でもあります。
玉座のシンボルを頭上にかざす壁画や幼いホルスに乳を与えている姿で作られる彫像も多く見つかっています。

神話「ホルスとセトの争い」の中では、セトが「イシス」の夫オシリスを殺害した後、「イシス」がバラバラにされた夫の遺体を集めて復活させたという話から生と死を操る強い魔力を持つとされています。

また、「イシス」はホルスを生み、ホルスを亡き者にしようとするセトの企みを様々な方法で献身的に防ぎ、古代エジプトで大変人気がありました。

そして、後の世にエジプトの勢力が衰えて神々も忘れ去られていく中で、ギリシャやローマ時代に彼女への信仰が残り神殿も造られています。

最も古い神の一人「ホルス」

エジプト神話で重要な存在である太陽神ラーは多くの神々の姿で壁画に登場しています。

最も古い神の一人「ホルス」もエジプトの神の中で非常に有名な神の一人で、下半身は人の姿で上半身は隼(はやぶさ)の姿で描かれ、太陽神ラーとして太陽を示す円が頭上に描かれています

また、兄弟セトによって殺されたオシリスの息子である「ホルス」は、父の仇であるセトを滅亡させて新たな王になります。
以上の経緯で、エジプトの王はホルスと同一視されることになりました。

そして一般の人々も「後継者・王」のシンボルとしての信仰が強くなり、それを反映して多様な姿で「ホルス」は描かれています。

軍隊の守護神「セト」

オシリス神話は「ホルス信仰」を掲げる部族集団と「セト信仰」を掲げる部族集団の戦いで、「ホルス信仰部族の勝利」を伝える神話であると言えます。

オシリス神話で悪役や敵役の役割を担う「セト」もいろんな役割を持つ神です。
「犬類のような得体の知れない動物の姿」を持ったものとして描かれており、争乱や嵐などと関連した「混乱の神」とされています。

またこの神は、上エジプトの「オンボス」で信じてあがめ、下エジプトのデルタ地方でも同様に信仰されていたため、その東デルタを起源とする歴代のラムセス王朝は戦争の神として「セト信仰」を持っていたそうです。

太陽の神「アテン」

「アテン」は、太陽神ラーから分離したラーの一つでしたが、中王国時代のツタンカーメンの父・第十八王朝のアメンホテプ四世(紀元前1353年前後に即位)の時代に「唯一神」として「あらゆる生命の源」とされ「創造の原点」と崇拝され国家主神に祭り上げられました。

この神は上方の「球」から光線が下に伸びている姿で表されており、太陽から無数の腕が伸びている「手」のようになっています。

唯一神というのは多神教であったエジプト的感覚から言えば異端のものです。
アクエンアテン以前の時代には鷹の頭をもつ人間の姿でしたが、国家神になった後は人の姿の壁画はなくなりました。

職人の神「プタハ」

「プタハ」神は、エジプト最古の首都が築かれた土地の守護神のため、「創世神」とされましたが、「プタハ」というのは「クリエイト(創造)」という意味で、メンフィス神学という独自の神話システムがメンフィスにはありました。

人の姿で描かれ、帽子をぴったりかぶっている様子で描かれていますが、「創造神」として知られています。

上下エジプトの中間地点の首都となったメンフィスには、国中から職人が集められ、上下エジプト統一を機にピラミッドが建設されました。
とくに、「プタハ」神やソカル神信仰とその神話体系がベースにあり、職人の神とも言われています。

敵を排除する役目の神「メジェド」

本来、打ち倒すものという意味を持つ「メジェド」は、古代エジプトの神「オリシス」の敵を追いだす役割を持つ神ですが、「目」によって相手を攻撃しますが、透明人間のように姿は見えなかったそうです。

エジプトの壁画では珍しい正面向きで描かれて「メジェド」だけが他のものと異なり、しかもゆるキャラのような特異な姿で描かれています。

死者の書の壁画に、わづか2回登場するだけでそれ以外については記述がなくこの神の実態はあまりわかっていません。

<下に続く>

古代エジプトの壁画の謎⑦宇宙人の存在

古代エジプトに宇宙人がいた痕跡

古代エジプトの遺跡には、壁画を含めて普通に考えれば「理解不能」なオーパーツ(場違いな工芸物)が存在しています。

それは、ピラミッドの底辺は各辺230メートルと正確に形作られた完璧さ、ギザのピラミッドの計算された完璧な配置などは古代の人が作れるものでしょうか?

さらに、ホトハル神殿のアビドス遺跡のヘリコプターや飛行機、未来をイメージしたヒエログリフ、人と構造の異なるミイラ、宇宙人が来た記録など様々なものが残されています

宇宙人は本当にやってきたのか?

本当に宇宙人が古代エジプトにやってきて交流があったのか、それは現時点では不明です。
隠されたメッセージや謎があるのか分かりませんが、人々の好奇心をかき立て、古代のロマンを感じる壁画であることは確かです。

いつか遺跡や考古学の新たな発見により、それが本当に宇宙人と関係するのか、全く異なったものなのか、いつか真実が判明する時が来るのでしょうか。

また、火星にもピラミッドらしいものがあることが確認されています(NASAはノーコメント)。

<下に続く>

古代の壁画が心くすぐるエジプトへ日本から直行便は出てる?

エジプトには日本から直行便(エジプト航空)が成田空港から週2便(日曜、金曜)就航しています。
直行便でエジプトへ言った場合の所要時間は約14時間です。

直行便以外に、アジアやヨーロッパ、中東の国(タイ、イギリス、フランス、イタリア、ドバイ、アブダビ)などを経由してエジプトへ入国することもできます。

エミレーツ航空、ルフトハンザドイツ航空、エールフランス、ブリティッシュ・エアウェイズ、アリタリア航空、タイ国際航空、エティハド航空、中国国際航空 (エア チャイナ)などが乗り継ぎ地経由でカイロに就航しています。

カイロからさらに飛行機で一時間程のルクソール空港を目指すこともできます。
空路以外、ルクソールはナイル川を挟んで東西に見どころがあり、遺跡全体が世界遺産という、歴史遺産好きには夢のような地区で、ナイル川クルーズも利用できます。

<下に続く>

ロマンあふれる壁画、楽しくワクワクする時間が待っているエジプト

古代エジプトの人々の宇宙観や創世神話がうかがわれるものです。
また、宇宙人を連想させる絵文字(絵図ではなく文字)には不思議な謎を感じます。

1ドル紙幣に使われている「ホルス神の目」にはフリーメイソンピラミッド建造説」なるものまであって興味が尽きません。

楽しくワクワクする時間が待っているエジプトへ、新しい発見をしに出かけてみましょう!

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